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吉田 幹太

山田 理子

田村 明宏

和田 章郎

青木 行雄

宇土 秀顕




▼新しい伝統の継承(和田章郎)
 関越道の、長い関越トンネルを抜けると、そこは本当に雪国でした。
 4月18日火曜日。

 越後路にはまだ春浅い、ってことはなかったと思うのですが、トンネルを出たところの湯沢の山々にはまだ雪がたくさん残っていて、やっぱり越後山脈を隔てると気候、風土は一変するのだな、などと改めて感じ入ってしまいました。

 そのことと直接的に関係するのかどうかはわかりませんが、今回は〝雪国新潟〟の話ではなく、新潟競馬、のことでもなく、〝新しい馬事文化の発信地としての新潟〟のレポートです。

 その日、午前3時に家を出まして、全通してまもなくの圏央道から関越道を経由し、新潟市内へ。
 グリーンチャンネルの新潟競馬パドック進行役でお馴染みの石濱里奈さんと合流し、そこから更に北へ小1時間走ると胎内市に入ります。市街地の東に鳥坂山、というのがありまして、その麓に鎮座するのが鳥坂(とっさか)神社です。


 もともとは空海作、との謂れのある馬頭観音像をご本尊とした〝馬頭観音堂〟だったそうですが、時代が下って戦乱の世に一時ご本尊が行方不明になったりして空白の時代があり、江戸期に本格的に再建がスタート。明治になっての廃仏毀釈と関係してるのかどうか、鳥坂神社と改称した際に合祀して現在にいたる…とは、まあ新潟県観光協会の資料に書いてあることと、33代目(!)の宮司であられる威本さんから直接伺った話をかいつまんで総合した由来。

 その神社で、かつて盛大な馬の祭典が開かれていた、というのです。
 五穀豊穣と牛馬の健康、安全を祈る例祭で、ちょうど田植えを始める頃である、として4月18日に行われていたそうで、その日は馬を飼育している農家は農作業を休んで馬を連れてお参りするのですが、馬は綺麗に装飾した鞍や手綱、頭絡をつけられ、鈴をならしながらひかれていく。それらの馬は〝シャングシャング馬〟と呼ばれていた、云々。
 装飾した鞍をつけて練り歩く馬、鈴の音、と聞くと、岩手の〝チャグチャグ馬コ〟を連想する方も多いでしょう。ですが南部駒の産地として名高い地方に限らずとも、農耕機械などない時代、牛馬を使役した農作業は当たり前に全国各地で行われていたはずで、牛馬の安全や日頃の労働に感謝して、という同じ主旨のお祭が各地に、それこそ北越地区に存在していたとしても何の不思議もありません。

 しかしチャグチャグ馬コのような知名度はありません。かくいう自分も2年前に聞いたのが初めてでした。新潟は中央競馬を開催している県ですから、馬に関する伝統的な祭事があれば、必ず耳にしていて良さそうなものなのに、です。

 その原因は、お祭そのものに長い空白の時代があったからに他なりません。昭和42年(1967年)に山形、新潟を襲った羽越水害。その後から途絶えていたようです。被害そのものの甚大さは言うまでもなく、昭和42年ですから牛馬を農耕に使役すること自体が減少しつつあって、という社会的背景も重なったのかもしれません。

 それが50年近い歳月を経た平成27年(2015年)に復活したわけです。その再開3回目となる今年、お邪魔してきました。

 そもそもこの情報を提供してくれたのが、前述の石濱さんでした。その時に、彼女が通う乗馬クラブ〝松原ステーブルス〟の松原正文さんが、このお祭に関わっておられる話はおぼろげに記憶していたのですが、直接話を聞いて驚かされることばかりでした。

 ちょっと前後しながら脇に逸れますが、松原ステーブルスと聞いてピンと来られた方がいらっしゃるかもしれません。そう、グリーンチャンネルで取り上げられたことがあったんです。亀和田武さんの番組です。

 松原正文さんは新潟県競馬の元調教師。2002年の県競馬廃止にともなって金沢競馬へ移籍し、そこで管理したJRAからの移籍馬ホシオーが03、04年の金沢の年度代表馬に選出されています、といった経歴の持ち主。
 ところが2005年に廃業。乗馬クラブ兼養老牧場として現在の松原ステーブルスを開業しました。

 「調教師は馬に食べさせてもらってますよね。それで子供達を学校にもやって、普通の生活を送れるのは全部馬のおかげ。それなのに競走馬じゃなくなった途端、馬達のその後について何もしないでいるってことに、ずっと複雑な思いを抱えていたんですよ。自分がやれることは微々たるものかもしれないけど、できるうちにやろうと思って」

 と40代半ばでの鮮やかな〝転職〟を遂げます。前述のホシオーもそこで余生を送っていて、その様子がグリーンチャンネルで扱われたようです(視聴してなくてすみません)。

 話を戻しましょう。
 競走馬の引退後について深く思い悩み、調教師を廃業してまで養老牧場を開いた馬のプロフェッショナルが、近くの神社でかつて馬に関する伝統的な祭事がありながら、長い間途絶えている、と聞いたら、そりゃあいてもたっても、だったのかどうか。
 ともかく、復活に向けての相談に快諾。境内までの石段脇に設けられた急坂のコースを馬で駆け上がる祭のクライマックス=『駆け上がり』にも自前の馬でもってご自身が披露されています。

 そして再開3年目を迎えた『練り歩き&駆け上がり』。初年の2015年に参加したのは松原ステーブルスから3頭。翌16年は阿賀野市のサントピア牧場のミニチュアホース2頭も加わっての5頭。そして今年は粟島の牧場(週刊競馬ブック『馬を巡る旅』で紹介されました)からの3頭で計8頭に。

 練り歩く距離も2km弱ですし、今のところ規模としては小さいお祭ではあります。
 ですが年々交流の輪が広がり、今年は黒川小学校3年生、新発田農高の生徒さんも課外授業の一環として参加。粟島からの小中学生も練り歩き後の記念撮影では馬上で誇らしげな笑顔を見せていました。

 スケジュールが終わった後の、この記念撮影会(?)がまた和気あいあいと、手作り感満載のインティメイトさがあって、いい雰囲気なのです。私も鞍をつけてない木曽馬に跨らされて(当然、初体験!)写真に収まったりもしたのですが、ここでは敢えて紹介を控えておくことにします。

 「どういう形であれ、こういう祭を継続することが大事なんじゃないかなあと思うんだよね。少しでも馬に対する理解が深まるんじゃないかな、と」
 と松原さん。

 「今はまだ小さいお祭ですが、いずれ胎内市を代表するようなお祭になれば」
 とは胎内市観光協会の須貝勝男さん。

 そうなれば〝伝統の復活〟は勿論のこと、地域に密着した手作り感溢れる、新しい形態の馬事文化が発信されることになります。
 再開、いやスタートしたばかりの祭事。長く見守りたいですし、個人レベルでは応援していきたいと思っています。
 あんまり賑やかになると、心地よい親密さが薄れたりするかも…なんてことは、そうなってからの悩みに取っておきましょう。

 そんなわけで皆様も一度是非、と言いたいところなのですが、注意点は鳥坂神社の祭礼日に合わせての祭事でして、「4月の2週目」とか「土日祝」みたいな括り方ではなく、毎年〝4月18日〟に行われる、ということ。その日、限定です。

 また、お祭とは別に単にお参りだけでも、と考えている方がいらしたら、神社が開いているのもその日だけでして、普段は社殿内を観ることはできません。

 実は社殿内の壁に施された彫刻や、天井の絵画など、意匠をこらしたものが多く、一見の価値があるどころか、小さな祠だと思って油断しようものなら驚かされるかもしれません。そのチャンスも4月18日だけですのでお気をつけて。
 来年は水曜日なんですが、〝今のまま〟では私は難しい、さて…。

 それにしても、早朝は低気圧の影響でお天気は大荒れ模様。長岡を過ぎる頃は横風が強く運転も危ぶまれるほどで、今更ながらの〝雨男〟ぶりを発揮してしまったか、と情けなくなりつつも(実際現地は朝方までドシャ降りだったらしい)、厚い雲には覆われながらも雨だけは上がってくれて、無事に、滞りなく開催されたのは何よりでした。

 これは多分、関係した皆さんの執念…いや祈りが確実に届いた結果、ではないかなと。来年以降も情熱を絶やさず、〝伝統の継承〟が続けられることを、改めて祈りたいと思います。

美浦編集局 和田章郎

和田章郎(編集担当)
昭和36年8月2日生 福岡県出身 AB型
1986年入社。編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、をモットーに日々感性を磨くことに腐心。今年もまた無事にダービーを迎えることができて穏やかな心持ちになれるのは幸せなことです。ダービーにワクワクすることがなくなるなんてこと、あり得ないでしょう。いやもう、まったく。
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